2024.06.04
【社長インタビュー】EIGHTIST代表の経歴を聞いてみたら壮絶だった!?
将来の夢は社長になること
本日はEIGHTIST代表の経歴を深堀りさせていただきます!FUJIMORIさん!本日はよろしくお願いします!
SAKAGAMI
FUJIMORI
EIGHTIST代表のFUJIMORIです! よろしくお願いします!
社長は幼少期はどんなお子さんだったんでしょうか?
SAKAGAMI
FUJIMORI
幼少期からサッカーに明け暮れていました。 キャプテン翼の影響を大きく受け、ボールは友達、旅行先にも持っていくような子でした。笑
では学生時代もサッカーを?
SAKAGAMI
FUJIMORI
そうですね!高校時代は大阪府選抜に選ばれ、スペイン遠征にも行く経験を得たことによって、負けん気と体力と元気、そして根拠の無い自信が取り柄な学生になりました。
大阪府選抜にも選ばれるなんて相当な実力だと思うのですが、サッカー選手を目指すことは考えましたか?
SAKAGAMI
FUJIMORI
そうですね、ただ将来の夢は社長になることだったんです。 とりあえずデカい仕事がしたいの一心で建設関係の学科がある大学を選考しました。
大学時代は具体的にどんなことを学ばれたんですか?
SAKAGAMI
FUJIMORI
主に図面を引いたり、建築物の模型を作ったりですね。shade、auto CAD、illustrator、Photoshop などを使い、昼夜問わず課題に追われていました。
FUJIMORI
そんな毎日に嫌気がさし、大きな建物を作るではなく、大きな建物を販売する不動産業に就職をしようと決めたんです。
お金を稼ぎ、夢を追う地獄の不動産投資営業マン時代
FUJIMORI
「年収1000万で足りない、俺たち2000万!」
FUJIMORI
この求人タイトルに俺はここで働いて、お金を稼いで独立して社長になるぞ!と意気込んでいました。笑
かなりギラギラしたキャッチコピーですね。笑
SAKAGAMI
FUJIMORI
そうですよね。笑 ただリーマンショック後の就職氷河期時代に就職しまして、なにがなんでも成果を上げて、一旗上げたい一心でしたが思った通りには当然いきませんでした。
大恐慌、就職難の時代ですよね。職に就くこと自体が難しかったと思います。一体どんな壁にぶつかったのでしょうか?
SAKAGAMI
FUJIMORI
正直、全て大変でした。笑
楽な事は一切なかったというのが回答ですが、ワクワクする気持ちはずっとありましたね。ここを乗り越えれたら夢が広がる!ロールプレイングゲームの様な感覚です。笑
FUJIMORI
まずは社会人としての礼儀作法を徹底的に叩き込まれました。目上の方と話す適切な日本語、税金の仕組み、保険の仕組み、ローンの仕組み、言い出すときりがないです。笑
FUJIMORI
一番は、どのように納得してご購入頂くかを考えて、お客様の「?」に適切な回答をする事が一番大変でした。
FUJIMORI
何を考えてこの「?」を出しているのか、何の事を言っているのかを対面営業ではなく、電話で会った事もない人とコミュニケーションを取りながら話を前に進めて行くのは新卒の私には難易度高めでした。笑
かなりハードな会社だったんですね。。どんな業務内容だったんでしょうか?
SAKAGAMI
FUJIMORI
テレアポで、北は北海道、南は沖縄の給料所得者がターゲットで一日架電をします。今までのサッカーのチームワーク、仲間とゴールを目指して結果に繋げる喜びを共有する事は皆無で、完璧に個人でのスキルで結果を残す事を求められる環境でした。
業務内容もかなりハードですよね。そのぶんお給料も高いとのことですが先に心が折れてしまいそうですね。
SAKAGAMI
FUJIMORI
今の時代では完全にブラック企業と言われる環境でしたね。ですが振り返ると学びが多く、今の土台を作ってくれたのはこの時期の経験があるからだと思っています。
FUJIMORI
あっ、それよりも大変なのは同期の人間が先に売れた事が一番大変だったかもしれませんね。笑 根拠のない自信が邪魔をして、現実を受け止めれる事が出来なかったのを覚えています。競争社会の現実を受け止めるが一番大変でした。
突然夢が叶う!父から店を引き継ぎ、焼肉屋の店長に
FUJIMORI
そんな社員時代に転機が訪れます、父からの誘いです。父がやっている一つの事業を引き継がないかとの事でした。
FUJIMORI
将来の夢は社長になる事。会社員を辞め、急転直下で焼肉店のオーナーをする事になりました。
急展開ですね!そしてお父様も経営者だったんですね。笑
SAKAGAMI
FUJIMORI
そうなんです。社長になりたいという夢は少なからず父の影響があったと思います。
今までのお話の中では飲食の経験は特にされていなかったと思いますが、どのように店舗経営をされていったのかお伺いしたいです。
SAKAGAMI
FUJIMORI
そのお店は幹線道路沿いで超大型店舗でした。 継承するにあたり、不動産会社の同僚も一緒に退職し、私と一緒に焼き肉店の経営をスタートしました。
【父から引き継ぐことになった実際の焼肉屋】
【焼肉屋店長時代のfujimori】
FUJIMORI
肉の仕入れ、開店前の準備、接客、閉店後の清掃。基本的な事は、取引先の卸会社での丁稚奉公で教わりました。勿論、飲食店で基本的なFLコスト、原価計算に必要な歩留まりの意味すら分からずに運営していた事を今ではよくやっていたなって思います。笑
FUJIMORI
その目まぐるしい日々が続く中、事件が起きます。生レバー、ユッケの販売禁止です。焼肉店では、よく売れる商品の上位の商品が販売できなくなりました。
死者も出た事件だったので記憶にあります。やはり影響は大きかったですか?
SAKAGAMI
FUJIMORI
瞬く間に売上が減少しましたね。経営が難しくなり、どんどん心が擦り減っていきました。
FUJIMORI
擦り減った代償として得られるものは少なく、超大型店舗には必ず重石となる、固定費を捌き切れないことで、一緒に稼ぐ夢がなかなか実現出来ず友人は去っていきました。自分の力の無さを恨みました。
FUJIMORI
日に日に預金がなくなる感覚は、シンプルに言うと地獄です。 会社の資金は人間の体の血液だと考えています。これがないと前に進める事も、後ろに下がる事も出来ません。八方塞がり状態です。
経営的に厳しい状態だったと思います。考え方やメンタルはどんな状態だったんでしょうか?
SAKAGAMI
FUJIMORI
24歳~28歳は本当に地獄の日々でした。どうにかしないと×100くらいです。笑 そして、思考も固まってしまいます。
FUJIMORI
長時間働き、努力をしているのになぜこうなのか、なぜお客さんに理解を頂けないのか、こんなに頑張っているのに。。。こんな思考に落ちいっちゃいます。結果がついてこなければ本当にしんどいです。
FUJIMORI
その当時の私は努力=長時間労働という考え方でした。きっとこの考え方は多くの人がそうだと思います。私の持論ですが、努力=考える事。
FUJIMORI
物事の本質をしっかり理解し、どこに努力すればいいのかを考えればある程度の結果が出ると信じています。正直大変な事ばかりでしたが、24歳の時に個人事業主として事業を出来た経験は私の宝です。
焼肉屋経営からの転機、BBQケータリング事業を開始
そんな大変な状況からどうやって立ち直ったのでしょうか?
SAKAGAMI
FUJIMORI
落ち込んでいても仕方がないし、やるしかないと思いました。「ピンチはチャンス」この言葉をいつも言い聞かせながら、問題点を模索し、大きな問題は何かを洗い出す作業から始めました。
ここで前を向くのは相当な覚悟が必要だったと思います。一体どんな問題が見つかったのでしょうか?
SAKAGAMI
FUJIMORI
まずは私の能力不足。そして在庫、重石な固定費、集客、この3つの問題を解決する事が急務になりました。
FUJIMORI
新たなビジネスをする資金も勿論ありません。明日の1000円がなかったですから。笑 正直逃げたい気持ちと、逃げたら終わるという所で戦っていました。
FUJIMORI
ですが勿論逃げれません。まず、お金をかけずに出来る事がないかを考えました。今、自分が出来る事は、元気を出す事、肉を仕入れて捌く事を一人で出来る事。問題点の一つは固定費。固定費が大きいから、販売価格を安くできない。固定費を売価に乗せずに販売できないか。。。
FUJIMORI
そうだ!店で売らずに持っていこう。この安易な感じで始まったのが、バーベキューケータリングの始まりでした。
固定店舗の弱点から逆転の発想をされたんですね。また違った業態ですが、どういったことから着手されたんでしょうか?
SAKAGAMI
【当時のチラシ】
FUJIMORI
半信半疑で始めた新規事業!意外に問い合わせがくる事に、ビックリもしましたが、めちゃめちゃ嬉しかった事を今でも覚えています。
初めて自ら考案したサービスなので思い入れがあると思います。具体的にどういったサービスなんでしょうか?
SAKAGAMI
FUJIMORI
バーベキューの機材をレンタル、設置、片付けまで弊社がおこないます。いわゆる手ぶらでバーベキューが出来るというサービスですね。
【バーベキュー場の様子】
FUJIMORI
このバーベキューケータリングは、焼肉屋の問題を全て解決する事に気が付きました。
FUJIMORI
大型店舗の為、発生する大量の在庫、不良在庫が受注発注のバーベキューケータリングは出なかったんです。ご指定の日までに食材をご注文分だけ用意するので、大量の在庫、不良在庫、食材のロス、を考えずに提供できるサービスだと気が付きました。
今でこそよく聞く事業形態になりましたが、当時は先駆けて始められたんですよね。このサービスが流行る!と考えた理由は何だったんでしょうか?
SAKAGAMI
FUJIMORI
当時アウトドアブームの狼煙が上がりかけていたのもあり、色々市場調査をすると日本の人口の3人に1人は年に1回バーベキューをしている事、大手企業も参入していない業種でもあったので、すごいマーケットだと気がつきました。
FUJIMORI
またバーベキュー場に配達しにいくと、ご注文を頂いていない別のお客様に「えっ?もってきてくれんの?」「めっちゃ便利やん」と声を掛けてもらえる機会がすごく多かったので、このサービスはいけると思いました。
そんなデータがあるんですね。市場調査から得たデータと現場の声から判断されたとのことですが、マーケティングの経験があったんでしょうか?
SAKAGAMI
FUJIMORI
いえ、その経験は一切ございません。笑
未経験の状態でなぜそこまで考えることが出来たのか不思議です。笑
SAKAGAMI
バーベキューケータリングを始めるにあたって焼肉屋の経営と二足の草鞋になったと思いますが、どんな経営状態だったのでしょうか?
SAKAGAMI
FUJIMORI
体力勝負だったの一言に尽きます。 当時は焼肉店を運営しながら、バーベキューの配送も一人でおこなっていました。 焼肉店の来店が増える曜日は、祝日前、祝日です。バーベキューのご予約が多いのは祝日です。
FUJIMORI
仕込みを夜中の1時までして、朝方の5時には配送の準備をし、場所取り、設営、引き渡しをすると、お昼の13時、戻って焼肉屋の準備をする。こんな日々でした。睡眠時間2時間~4時間くらいでした。
FUJIMORI
本当に多忙の毎日でしたが、でも本当に楽しかった!やっぱり楽しかったらなんとかなりますよね。笑 やらされているわけではなく、自らやりたかった事ですから。笑
自らサービスを考えて行動する基礎がここで培われたんですね。どれだけ苦しい状態でも前を向いて走り続ける姿勢を今でも貫かれていると感じます。
SAKAGAMI
FUJIMORIさん、本日はありがとうございました!
SAKAGAMI
今回はEIGHTIST代表の経歴についてお伺いしましたが、ここからどういった経緯でIT企業であるEIGHTISTを立ち上げることになるのか。今後のコラムで掲載出来ればと考えています。次回のコラムもご期待ください!
SAKAGAMI